* * * * * 「 夢 の 箱 庭 」 * * * * *
幼い頃から、私は”籠の鳥”だった。
自由のない籠の中、一時の自由を漫然と過ごしていた。
今この瞬間すらも、犠牲だ。
いずれ嫁ぐ先に自分の未来を描けないことへの犠牲 ――――。
* * * * *
ごうごうと炎が激しく上がる。
私の夫だったものが剣で首を貫かれ、目の前で崩れるように倒れた。
夫の背中が視界から消えると、
鮮血を浴びた漆黒の、長髪の男が現われた。
男が私を見れば、まるで炎に包まれたかのような感覚に襲われ、
その場から動くことができなかった。
ただただ 恐ろしかった。
* * * * *
私は黄国(おうこく)将軍の妻だった。
黄国が赤国(せきこく)に戦争を仕掛け、そして負けた。
私は 私の夫を殺した、赤国 将軍の妻となるらしい。
自害しておけばよかったのか、殺されなかっただけよかったのか
わからなかった。
そも、扉をあけられたところで逃げ方もわからなかった。
周囲から見れば、私は滑稽に映ったことだろう。
赤国に連れてこられた後、屋敷やあてがわれた部屋は
どれも立派だった。
”武力の国”と名高い 赤国は、黄国とは比べようも無いほどの国力があり
何より民が豊かだった。数年前よりも更にその力は拡大している。
だからこそ、脅威と感じたのだろうか。
負けると分かっていてなお、黄国は戦を仕掛けなければならなかったのか。
部屋から窓の外を見れば
赤の伝統色が目立った。屋敷も街並みも華やかで、艶やかで美しい。
敗戦した黄国と部屋から見える赤国の景色はあまりに違い過ぎて、
実は私はもうここには存在していなくて、ただ夢を見ているだけなのではないかと錯覚する。
そして、実感する。
成す術もわからず 何もない私自身が、崩れていくような――。
扉が開かれ、誰かが部屋に入ってくる。
あの時の黒髪の長髪の男だった。
これが夢であってほしかった。恐ろしくてたまらなかった。
私はベッドの隅にじりじりと後ずさり、
隠し持っていた短剣を引き抜き、それを男へ向けた。
柄を握る両手ががたがたと震えている。
涙があとからあとから零れ落ちる。
怖い、怖い――!
「……
周りから、この部屋で寝ろと言われた」
私の大波のような感情とは裏腹に
男は静かにそう言った。
何を言われたのか分からずにいると
男は私から視線を外し、おもむろに私がいるベッドとは反対方向に歩いていき、
近くの床へ寝ころんだ。
「……」
私に背中を向けたまま、彼が動く様子は無い。
私は感情のやり場を失くし、この状況に戸惑う。
「数日 寝てないんだろう。ちゃんと寝ろ」
彼はこちらを向かずにそう言った。
「……」
今のは、私に言ったのだろうか。泣きぬれた目をぱちぱちとさせて、
自分の手に握られた短剣と彼を交互に見た。
これが私の夫となる赤国 将軍 ―― ホムラとの出会いだった。
* * * * *
不思議な男だった。
次の晩も、その次の晩も
ホムラは部屋を訪れるが、いつも私に背を向け床で寝ていた。
私の力など彼には遠く及ばないことは分かっているが、
寝首を搔かれるとは少しも思っていないのだろうか。
どうかすると彼の静かな寝息まで聞こえてくる。
男の真意など推し量る術は無く、当初予想していた状況と今とではかけ離れていて
私のいままでの鬱屈とした感情はやり場を失くし、
それは日を追うごとに少しずつではあるが霧散していくようだった。
いつも夜には、床に寝転がった彼の背中だけが見える。
長身に、腰まである長い黒髪。
顔はおそらく怖いだろうから、いまだはっきりと見ることができていない。
黄国の将軍であった死んだ夫は、私のことを妻として見ていたのか
人として見ていたのか、否そのどちらでもなかった。
あの人は戦で武功を挙げることだけに執着をしているようで、
私との間にも子はできなかった。
最期に見たあの夫の顔は焦燥と恐怖でひどく歪んでいた。
私を突き飛ばして逃げる背中を見たのが、あの夫の最期だった。
あの男の半生を知ることなくして彼が死んでしまったことに
特に後悔は無かった。
自分の無情さと寂しさがより浮き彫りになっただけだった。
「眠れないのか」
ホムラの静かな声に、意識が引き戻された。
私は今宵もベッドの隅にうずくまっていた。昨晩も、その前も。
ホムラはまた私の方を向かず、言葉だけを静かに向けた。
武人は皆鍛えているのだろう。
どの背中も等しく同じだろうと思っていたが
最期に見た前の夫の背中と、ホムラの背中はどこか違って見えた。
月明かりが落ちるこの静寂の部屋は、なぜだかここ最近で
居心地が良くなっていた。
きっと、私が籠の鳥だったからだろう。
行動を起こすことに慣れていなかった。
変わらない自由、変えられないであろう不自由さに慣れ過ぎて、
私の人生が損なわれていると感じながらも、ずっとそれに甘え閉じこもっていた。
彼の言葉に、何かを答えてみようか。
そうしたら、何かが変化してしまうのではないか。
この場所が変化してしまうのではないか。
少しばかりの怖さがあった。
「……。
眠らなくては、いけないでしょうか」
ホムラの言葉に応えてみた。
「いいや、べつに。健康を害さないんだったら、
眠らなくたっていい。
それに……」
彼は背中で答えた。
「外敵の心配ならしなくていい。俺がいれば、とりあえず安全だ」
「……」
彼から見れば私がその外敵に、
私から見れば彼がその外敵に成りえるのではないだろうか。
この人と初めて交わした会話は不思議な心地だった。
「俺は、睡眠を必要としない。
だがなるべく 人が日常行っていることはしておくべきだ。
でなければ……いつか人では無くなってしまう」
それは彼の過去が凄惨だったからなのだろうか。
憶測ばかり浮かんでは消える。
私は彼のことを何も知らない。
後から知ったことだが、
私が引きこもっていたこの部屋は元はホムラの自室で
彼は本当の意味で、自分の部屋に寝に帰ってきたところに
私のような訳の分からない者がベッドの隅を陣取って、
短剣を彼に向けていたのだ。
私は本当に、滑稽な女だったのだ。
* * * * *
赤国は武力の国。
強くなければ、その地位は明日をも知れない。
そして昨今の赤国において、強さの証明は武力だけではない。
武勇に優れた聡明な将軍は、民や兵士からの人望を大いに集め、
時に国王よりも権力があるとされている。
現 赤国将軍のホムラは、10年ほど前に先の将軍を討ち、今の座にいる。
私と同じく20歳か、または20代前半か、いずれにせよ若く見えた。
普段、彼が周囲に見せる表情や振る舞いには何の威圧も無く
淡々とした雰囲気が目立った。
それは私が見えている範囲だけなのかもしれないが、だからか
時が経つにつれ、彼に対して怖さも無くなっていた。
私が陣取っている"籠"に登場するのは、いつも決まって女中と
夜、床に背を向けて眠りに来るホムラだけだった。
しばらくして女中とも打ち解けると、もう一人の、鳥籠の中へやってくる
ホムラに自然と目が行くようになっていた。
* * * * *
「私が床で寝ますので、あなたはベッドで寝てください。
風邪をひいてしまいますから」
「俺は風邪はひかない」
ホムラは間をおいて、いつも通り静かにそう答えた。
感情の波が去って、私はこんなことにも気づけなかったのかと思った。
この2ヶ月、彼は怯える私を気遣ってくれていたのだ。
この人は、あの人のように私に危害を加える人ではないと分かったから、
私も震えなくなったのだ。
しかし、こう何日も同じ押し問答が続くと、ホムラがまるで
意地を張っている子供のように思えてきて、なんだかおかしかった。
「……では、私も床で寝ます」
私がベッドから毛布を持ってきて、背を向けるホムラの隣に座ると、
さすがの彼も体を起こし、この時初めて私の方を向いた。
初めて、彼の顔を間近で見た。
ベッドの隅からこの床までの距離を思えば、
今のホムラとの距離は、臆病な私にとって最大の行動だった。
「お前は風邪をひくが、俺はひかない。
だから……俺はどこで寝てもいいだろう」
「ここは、元はあなたの部屋だったとうかがいました。
私ばかり寝床を奪うわけにはいきません」
「今は 二人の部屋だ」
「……」
「お互いこの部屋は自由に使うべきだ。
……お前も」
「私は……ヒサナと言います」
今頃 名乗るのは おかしい気がしたが。
ホムラは頷く。
「ヒサナ」
私はそう呼ばれ、居住まいを正す。
彼に対して、もう恐怖は無かった。
「……俺は黄国の将軍を討った褒章で、赤国の王からお前を与えられた。
王が俺に好きにしろと言ったのだから、
ここからする話は俺とヒサナだけの問題だ」
一瞬 理解できなかったが、どうやら彼は
私がホムラの妻となった現状と、これから先のことを話そうとしているのだろう。
「俺としては、ヒサナは、ヒサナの思うように生きればいい。
別に俺の妻になる必要は無い」
今度は本当に何を言われているのかわからず、私は首を傾げた。
ホムラは話の途中で「床寒くないか?」と私に聞いてきて、
それにだけは とりあえず頷いた。
「つまり、自由ってことだ。
この部屋に閉じこもっている必要はないし、望むなら
どこかの国へ旅立ってもいい。お前のやりたいことをやればいい」
「自由……自由とは、何なのでしょうか」
「自由は、誰もが持つべきものだ。支配されるのではなく。
俺の……今の考えでは、そうだ。
自由には制約が伴う。すべて自分の思い通りに何かをすることはできない。
衝突もあるし、金はいるし、人や物を頼る必要だってある。
だが、俺のできる限り、ヒサナには与えるべきだと思う。
俺は……お前から沢山のものを奪っただろうから」
ホムラは真っ直ぐに、私の目を見てそう言った。
私は、この人から何かを奪われたのだろうか。
前の夫だろうか……黄国だろうか。
黄国は私の故郷ではないし、私の故郷は前の夫に滅ぼされてしまったから
もう無い。家族と呼べる者もいない。
そう考えたのは、私が非情だからだろうか。
「……あなたは、不思議な人です」
「よく、何を考えているのかわからない
とは言われる」
ホムラは肩をすくめてみせた。
私は笑っていた。何年ぶりだろうか。
不思議で、枠にとらわれない彼の人となりにとても興味がわいた。
「私はこのような身で、何かを望んでも良いのでしょうか」
「大抵の奴は、何でもしていいと言われると
戸惑って何もできないでいるものだ。
だがヒサナは、違うんだろう」
今 明確に言葉にすることはできないが、
一瞬だがはっきりと私の脳裏に思い描かれる景色があった。
いつか彼に、それを話してみたいと思った。
「一応言っておくが、俺に今『死んでくれ』と願うのだけはナシで頼む。
それは後々叶えてやってもいいが、今はやらないといけないことがあるからな」
私はまた笑っていた。
そしてなぜか少しばかり、焦りがあった。
この人はきっと、引く手数多だろうから――――。
* * * * *
数年後。
籠の鳥が "箱庭"を手に入れる物語、というのはどうだろうか。
身に溢れんばかりの幸せがあり、
それらがすべて自らの視界に収まっている。
私の大切な場所 。
籠から飛び出した鳥は、そこに自分の巣を作った。
それはきっと その鳥にとっての最大の幸せだと、私は思う。
子供たちのはしゃぐ声が、秋の空に高らかに響く。
煌爛(コウラン)、耀煇(ヨウキ)、炯華(ケイカ)。
3人の幼い娘たちが広い庭を駆けまわっている。
「そんなに走り回ると、転びますよ」
私が言うより早く、一番下のケイカがつまづいて転んでしまうが
すぐにつたなく起き上がり、駆け寄ってきたコウラン、ヨウキと共に笑う。
縁側に腰掛ける私がいつも眺める、穏やかな光景――。
「毎日 元気で何よりだ」
ホムラが廊下を歩いてきて、私の隣に座る。
「……。
女の子、3人になってしまったのですが……」
私は娘が3人もいて とても幸せなのだが、
後継ぎには男子がいたほうが良いだろう。
ホムラの手前、喜んでいいものなのか悩んでいた。
ホムラは私の顔を覗き込む。
私の心の内などすでに見通しているのだろう。
何も気にしないような口ぶりで彼は言う。
「4人目ほしいんだったら、作る?」
「あなたはそう仰りますけど、
料理のようにすぐできるものではありませんからね。
授かりものですから」
「料理だって簡単にはできない」
例えで言ったのですよ、と
私はすこしむくれたようにホムラを見るが
彼は 微笑んでいた。
「ヒサナが望むなら、何人いてもいいってことだよ」
「私はもう十分です。十分に、幸せですよ」
「ならそれでいいさ」
ホムラはそう言うと、目を細めて娘たちに視線をうつす。
「……
あなたは今、幸せでしょうか」
「? 幸せだよ。
―― "俺の幸せ" は、もう叶った」
「?」
「だが、まだ叶えていないことがある。
それを決して夢物語にはしない。
いつか必ず、叶える」
ホムラには 揺らぎの無い決心がある。
成し遂げたい何らかの事柄が彼の生き様を形作っている。
それを彼からすべて聞いたわけではないが、今では少し感じることができる。
恐ろしいことではなく、きっとこの光景のように
あたたかく、やさしいものであると――。
「おかあさまー! おとうさまー!」
夫の横顔を見つめていると、
娘たちがこちらへ駆け寄って来る。
次女のヨウキが私の膝に両手をのせてきて、
その場で飛び跳ねながら 嬉しそうに話す。
「ヨウキ、お勉強するのが大好きだから、
大きくなったら軍師になってコウランを助けるの!」
いつもはしゃぎまわっている娘から
そんな言葉が聞けるようになるとは予想もつかず、私とホムラは顔を見合わせる。
すると今度は ヨウキに促されて、
娘たちの中では一番 物静かな長女のコウランが
意を決したように口を開く。
「わ、私は! 父上の跡を継いで、将軍になって
この国を守りたいと思っています!」
想像の更に上を行く娘たちの言葉に、私が驚いて目を丸くしていると
隣ではホムラがめずらしく大笑いしながら、コウランの頭をなでる。
「父上! 私は本気です!」
コウランはまだ何か言いたいことがあるようで
頬を紅潮させながらホムラを見上げる。
「わかってるわかってる。
ヒサナ、よかったじゃん。俺の跡継ぐってさ」
不安などはじめから無かったかのように、娘たちの成長に
胸がいっぱいになった。
私は今、これ以上ないほどの幸せを得ているのだ。
だからこそ娘たちには私よりも更に幸せに、
自分たちの思う方へ進んでいってほしいと願う。
「ケイカは……」
三女のケイカが少し気落ちした様子でぽつりと言い、
皆の視線が集まる。
「ケイカは、
お姉さま達のようにお勉強好きじゃないし、武術も得意じゃないから
……大きくなっても何したいかわからない」
と言って、彼女は何らかの遠慮を垣間見せ、いじけてしまう。
ホムラはケイカの肩に手を置く。
「ケイカ。お前、かわいいじゃん」
彼の言葉に、俯いていた彼女は ぱっと顔を上げる。
「ケイカ、かわいい?」
「かわいいよ」
「! じゃあ、ケイカ、本当は舞台じょゆーさんになりたいの。
なれると思う?」
「いいんじゃない?」
「やったー!」
静まり返っていたこの場は、子供たちの笑顔により 華やぐ。
後々、愛娘たちがこの夢を本当に叶えるということを
この時の私はまだ知る術は無かったのだが、
不思議といずれそうなるだろうという確信があった。
その光景を思い浮かべるだけで、私はまた 喜びに溢れるのだ。
* * * * *
* * * * *
「スガタ様、
この前のお話ですけど、考えて頂けましたか?」
自室にいるホムラの所へ案内しながら、
ヒサナは とある件について、隣を歩くスガタに尋ねる。
「ヒサナ、その話はもう勘弁して」
スガタはうんざりしたようにヒサナの前で片手を上げ、
取り止めるように促すのだが
彼女は応じる気は無いようで、代わりに花のように微笑む。
「わかりました。では、この話はまた今度に」
「……きみ、いつも嬉しそうで、楽しそうだね」
「はい!」
「何でもきみが思う通りに動くわけじゃないからね、世の中は。
特に僕は。無理だから」
きっとヒサナの考えている事に自分を巻き込もうとしているのだ、と
スガタは真っ向から(しかし やんわりと)突き放そうとするのだが、
彼女は笑顔を返すだけで、諦めない様子だ。
今のヒサナは、自らの過去など物ともせずに、
周囲に花を咲かせるがごとく朗らかだった。
スガタはそんな彼女が、苦手だった。
廊下を歩きながら、スガタは横目でちらりとヒサナを見る。
「ヒサナ……誰かに似てるな」
「? 誰でしょう」
「さあ。色々だよ」
ここ数百年を思い出し、眉間を押さえたスガタは
ため息をつきながらホムラの部屋へと入っていった。
「さて、次は娘たちの所へ行きましょう」
ヒサナは今日も、誰かの幸せのために世話しない日々を送るのだった。
< 終 >
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